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ピーターボロー日記

1999年1月12日〜1998年9月26日〜|1997-98年の概要 | ピーターボロー日記Top

1997-98年の概要

始まり

あれは忘れもしない昨年(1997年)のある夏の日のことでした。私がメールチェックをしていると、一通の意味不明のメールが送られてきていました。
From: ******@*****.net
To: h-wakaba@mvj.biglobe.ne.jp
Subject: RE GOALIE COACH
Date: Sun, 20 Jul 1997 09:33:00 +0900


CONTACT JIM NORGATE WITH THE MINOR PETES HOCKEY MIDGET AAA TEAM AT
***-***-**** - HOME AND FAX AT ***-***-****

ジム・ノーガーテって誰?ペテス?ピーツ?ミジェットAAAってなに?だいたい差出人の名前さえありません。しかしどうやら用件は「RE GOALIE COACH」ということは、私がホームページのFAQの最後に書いておいたあの一文に関するものらしいのです。

"Please note that Hiroki is always looking for a chance to go abroad to coach foreign goalies and/or teams. If you ever know the team looking for the goalie coach, contact Hiroki"
「ヒロキは外国に行ってゴーリーやチームを指導するチャンスを探しています。もしそのようなチームがあればヒロキにコンタクトしてください」

私はちょうどそのころプロのコーチを本気で目指すのであれば、日本でできるホッケーコーチとしての経験は非常に限られているのではないか?と思い始めていました。長野オリンピックを経て、世界選手権Aプールに極東枠で出場しているとはいえ日本のホッケーはまだまだ世界の三流です(関係者の方には申し訳ありませんが事実は事実です)。その中でそこそこの成果を上げていたとしてもそれは自分の目標とはほど遠いのです。同時に自分では「きっと日本よりホッケーの強い国に行ってもホッケーは教えられる。カナダに行ったって大丈夫なはずだ。日本人だから外人にホッケーを教えることができないってことはない」という妙な自信はありました。とはいってもここはやはり日本。カナダ人やロシア人が日本にホッケーを教えに来ることはあってもその逆はなかなかあり得ないでしょう。だいたい誰とどうやってコンタクトをとればいいのか?私はまったくダメ元でホームページに自分の売り込みを賭けてみました。そのころ既にホームページの記事が「Goalies' World」の目に留まって掲載されたりしていましたし、NCAAのゴーリーから相談を持ち掛けられたりもしていましたから、おそらくインターネットなら何か可能性があるかもしれないと思っていたのです。

しかし、それはあくまで可能性の話です。私は「もしかしてこれは外国でホッケーを教えるチャンスなのかも」と密かに胸を躍らせつつ「こりゃ、よくある悪い冗談でしょ。結局また日本でホッケー教えたいとかプレーしたいとか、そういう話だったりするんじゃないの」と考えていました。私は過去にもホッケーで食べていけるかもしれないというぬか喜びでがっかりしたことがあるので、ここは冷静に、

「メールありがとうございました。ところでジムって人は本当にゴーリーコーチを捜しているのですか?それとも日本のホッケーの情報が知りたいだけなのですか?」

とメールの差出人に聞いてみました。すると2日後に、

「私が知っているのは彼がゴーリーコーチを捜しているということだけです。(後略)ベドリ・クラ」

というメールが帰ってきました。2日でリプライ(返事)があるというのは悪くないペースです。ベドリ・クラという何人か分からない名前に多少のインチキ臭さを感じつつも、ひょっとしてこれは本当かもと思い、そのジムという人物のところに一世一代の決意でファックスを送りました。

「97年7月25日:初めまして。私は日本のワカバヤシヒロキというものです。先日ベドリ・クラさんからあなたがゴーリーコーチを捜しているとのメールをいただきました。もしまだ有能なゴーリーコーチを探しているなら、ぜひ私も候補に加えてください。私は日本でフランソワ・アレールの通訳を6年間務め、プロのゴーリーを指導しています。私の指導したゴーリーは日本ジュニアナショナルチームに選ばれたりオリンピックチーム候補になっています。(中略)私は自分のコーチング可能性を海外に広げるときが来たと思っています。どのようなコーチを捜しておられるのかは分かりませんが必ず結果を出せるものと思っています」

まあ、今読んでもかなり恥ずかしくなるようなファックスでしたが、どうせダメ元ですから関係ありません。私は「ひょっとしたらこれが自分の人生を変えることになるのかも」と、緊張しながら思い切ってファックス送信ボタンを押しました。

待つこと1週間。今度はリプライが遅い。やはり冗談かと諦めかけていたところにまたベドリ・クラからメールが届きました。

「Jim Norgate からのメッセージです:
 ファックスありがとう。あなたがゴーリーコーチをやってくれるかもしれないと聞いて大変喜んでいます。最初に言っておかなければならないのは、これはボランティアであり、給料の出る仕事ではないということです。Peterborough という町は北米屈指のホッケータウンで(中略)ミジェットAAAというのはジュニアAを除いてはアマチュアで最強のレベルです(中略)まだこの話に興味があるかどうかぜひ知らせてください。」

なるほど、これはいよいよ本当かもしれません。しかし、私はそのころ大学院生でしたから、曲がりなりにもその年に修論を書かなければなりません。カナダに行ったきりにはなることができません。これは10月から1ヶ月半行って帰国し、2月にもう一度プレーオフに間に合うようにカナダに行くしかないと勝手に決意し、その旨を伝えました。親や友人に「なんか、すごいことになりそうだよ。カナダでホッケー教えるかも」と言ったものちょうどその頃でした。しかしまだ私も半信半疑でした。だいたいPeterboroughという町がどこにあるのかも知りませんし、何と発音したらよいのかも分かりません。ヘッドコーチのジムというヤツも、名字(Norgate)の発音はできないし、何才でどんな人なのかもまったく謎です。どうしてファックスがあるのにメールで返事を送ってくるのか?しかも他人のメールアドレスで?だいたいこいつリプライがめっちゃ遅い。本当にだまされているのかと思うことが何度もありました。これは彼の家のファックスが故障していて受信はできても送信ができないことが原因であるということが分かったのは、私がカナダに着いてからのことでした。ちなみにそのファックスは1年以上経った今でも故障中です。早く直せよ、ジム!

そうしていろいろあって、8月半ばにはカナダ行きが決定的となりました。さて出発までの間にやっておかなければならないことがたくさんあります。まず修論をどうするか、先生にカナダ行きをどう説明するかです。ここは「修論のテーマであるホッケーのグローバリゼーションの調査をかねてカナダに行く」という大変苦しい言い訳で乗り切ることにしました。

そしてその後8月9月はゴーリークリニックや高校大学の合宿指導に修論の準備、つかの間の帰省、さらに親不知を抜くなど(これはかなりきつかった)怒濤のように過ぎていきました。このころのメールを見ると「またまた八戸から帰ってきました」とか書いてあり、いったい何回何をしに八戸に行っていたのか分かりません。10月に入り出発直前には慌ただしく準備を行い、10月6日、とにかく出発しました。

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10月6日から11月26日まで(最初の滞在)

10月6日。「果たしてジムというやつは本当に空港に現れるか?」という大きな不安を胸にトロント空港へ降り立つ。

入国時のやりとり
係員:「観光ですか?」
ヘローキィ:「いいえ、ピーターボローでホッケー教えるんです」
係員:「はあ?ああ、ホッケースクールに行くんだね、なんていうホッケースクール?」
ヘローキィ:「だから、ホッケースクールじゃなくて、ピーターボローのミジェットチームにホッケー教えるんです」
係員:「はあ?(パスポートを見る、そしてハハーンこの日本人、英語が分かってないんだなという顔で)ふーん、まあいいや、OKOK、行って行って」


そりゃ日本人がカナダにホッケー教えに来たっていっても誰も信じてくれないよなあ。と思いながら到着ロビーへ。。。そこで俺を迎えてくれたのは、なんと若い男だった。てっきりジムってヤツは40過ぎのおやじだと思っていたので拍子抜けする。そして、空港からジムの家に向かう間のハイウェーで、ジムは早くもコーヒーを飲む。後から分かったことなんだけど、こいつがやたらとコーヒー飲むんだよ「コーヒーとビールはカナディアンホッケーコーチの伝統的飲み物だ」そうです。

1日後に初の練習があった。まずはジムが時間ぎりぎりにリンクに行くことに驚く。そしてプレーヤーを見て驚く。やはりカナダのガキどもはでかい。でも意外に小さい選手も多いので驚く。「彼が日本から来たゴーリーコーチ、ヒロキ・ワカバヤシだ」と紹介されると、「フフン」と鼻で笑ったヤツがいた!ゴーリーはエヴィことスコット・エヴァンスとウォーリーことマット・ウォルダック。早速指導を開始する。しっかしウォーリーはいいとしてもエヴィは話聞っかねえんだ、これが!まあ、日本人のコーチどころかゴーリーコーチにつくこと自体が始めただっていうから仕方ないかもしれないけど。。。そして練習時間がたった50分だということに驚く。中ザンボが入るのか、さすがに贅沢、と思っていたら練習終わりだった。いくらなんでも50分は短すぎるよ!

トーナメント1

トーナメント2

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2月16日から3月16日まで(プレーオフ)

トーナメント優勝

プレーオフ

モントリオールへ

ダンキンドーナッツ

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