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特別企画:ヘローキィロシアへ行く!!その6 (2002年9月13-14日)

9月13日「スーパーリーグ生観戦!」

この日は午前に試合の後、午後は待ちに待ったスーパーリーグ観戦でした。アムールが迎え撃つのは強豪「アク・バルス」です。4500人くらい入る会場は立ち見も出るほどの超満員です。ハバロフスクではホッケーがナンバーワンスポーツであると思い知らされるその熱気!!試合前に売店に買い物に行くと売店にはホットドックならぬピロシキが、、、さすがはロシアです。

ビールを所望した某スタッフのためにビールを買っていこうとすると、入り口でセキュリティが「アルコールはアリーナには持ち込んじゃダメ!!」とのサイン。「じゃあこんなにいっぱいビール売るなよ!」と思っていると、なんとそのセキュリティが「袖の下に隠して持ち込め」のサイン!!ああ、そういうことね。案の定アリーナの中ではビールをガンガン飲んでいる人たちが多数いました。

そして試合開始!いやーしかしこハバロフスクのお客さんは熱い熱い!!もう日本リーグで言うなら霧降のリンク状態です。いや、それ以上です。ちょっとでも惜しいシーンがあると全員が頭を抱えて悔しがり、ゴールが決まると「ハラーショ!!(すんばらしい!!)」と絶叫しながら総立ちに、、、これはすごい。ああ、この熱い応援の中で日本リーグが行なわれるチャンスが消えてしまったとは、、、残念です。

面白いのはピリオド間にお客さんがほとんど売店に行ってしまうことです。これは北米や日本ではちょっとありえないくらいの規模です。試合終わったんかい?と錯覚するほどゾロゾロと去っていき、ピリオド開始と同時に戻ってくる様子は壮観です。

ホッケーの内容はさすがにレベルが高く、ロシアンスタイル全開とまでは行きませんがNHLとは一味違うパス回しなどが見られました。ファイティングなどは1回くらいしかなかったかな?

試合のほうはアムールが先制し、アク・バルスが逆転するというスリリングな展開。アムールの25番はスピード、テクニック共に抜群で「あいつはNHLでプレーできそうじゃないの?」なんて言っていると実は25番はNHLシカゴ等で活躍して今シーズンからロシアリーグに復帰したセルゲイ・クリボクラソフでした。失礼しました。クリボクラソフはその昔U17代表で日本に来てパシフィックカップを戦っておりました。当時は「ブレの弟(ワレリー)が来る」と話題になって試合を見に行ったのですが、実際にはクリボクラソフの超絶テクのほうが全然目立っており「これはすごい選手が生まれるぞ!」と興奮したものでした。あのころは痩せっぽっちの少年だったなぁ、、、、

考えてみればそのパシフィックカップ、カナダ代表にはクリボクラソフと同期にあたるカリヤとプロンガーがいた(筈)なのです。すごい面子を見たもんです。あんまり覚えてないけど。 結局試合は一時3点差をつけられていたアムールが3-4まで追い上げましたが惜しくも試合終了でした。 明日はいよいよ最終日です。

ピロシキ(手前、コーラの左)を食べながら観戦!
国家斉唱
 白熱の好ゲームでした
超満員のお客さん
ピリオド間にはお客さんが消えていきます
ハラーショ!!

9月14日「ロシアにて思ふこと」

この日はいよいよ最終日です。午前中にアムールの練習を見ようと思っていましたが練習中止。市内を散策してました。リンクの近くの公園では高校生が体育の授業中。持久走を行なう一団と、一応野球らしきものをしている一団発見。しかしこの野球が棒切れでボールを打つという要素以外はおよそ野球とは思えぬ動き。ヒット性のあたりが出るとやたらたくさんの人がベースらしきものに向かって動くのですが。どうなってるんでしょう?

お昼は市内の日本食レストランで久々の日本食をいただき、午後は高校生の最終戦です。実はその試合のに前に見た子供同士の試合が一番の収穫でした。10歳くらいの子供たちの上手いこと上手いこと!!ハンドリング、パス、チェックと技術的には大人のそれとほとんど遜色ありません。これこそ一貫教育のたまものです。この年代でこれだけ完成されていればあとは体の成長だけです。はーーーーたいしたもんです。

試合が行なわれたリンクは工業地帯の真ん中にあるアムールの練習用リンク。非常によくできた作りのリンクでした(かなり寒いです)。隣接する体育館ではサモロドクのバレーボールチームの練習が行なわれているようです。サモロドクはもともと他の町にあったチームをアムールのオーナーがアムールの下部組織として買い取ったようで、なんとしてもアムールの基盤を強固にしたいというオーナーの思い入れがあったようです。ですからサモロドクが地域リーグを勝ち上がり上級リーグ入りが決まったあとに、「他のチームがハバロフスクに行くのが大変だ」という理由で上級リーグ入りが断られたときに、日本リーグ入りという仰天プランを切り札として存続を図ったのです。

結局パシフィックカップという形での交流試合も流れてしまいました。「年間20試合のためだけにプロチームにお金をかけることはできない」というのが直接の理由だったようです。サモロドクはチーム解散後わずか2日で全選手が移籍しました。それほど有望な選手がそろったチームだったようです。正直言って日本のホッケーは、非常に大きいチャンスを逃してしまったと今回感じました。いろいろと難しい面があったことは分かりますが、痛すぎです。

日本人選手一人が海外に出るだけでも大変のなのに、リーグごと海外に進出するチャンスを逃してしまうとは、、、しかもハバロフスクというホッケーに熱狂する町で、日本のホッケーを見せることができなくなるとは、、、本当に悔やまれてなりません。

いや、しかしまだまだこれからです。私がたった1週間の滞在で見ただけでも、ロシアホッケーの底力恐るべしです。しかもロシアは北米以上にホッケー交流ができる条件がそろっています。しっかりと頭を使えば遠征による試合やコーチの招聘だけでなくロシアとの更なるホッケー交流ができるはずです。今後の展開に期待しましょう!

ああ、次は北欧に行ってみたいと思うヘローキィでした。