少し前のことなのですが、「自分解放」というキーワードで有名なNIKEのCMが子供に強いインパクトを与えていると、A新聞に書いてありました。
なるほど、CMを見てもNIKEFOOTBALL.COMを見ても、「つまらないプレーを強要する「ザ・システム」から身を守り、自分で考えるサッカーをしよう」という発想はなかなか魅力的です。いや、もっともです。近年、サッカーといいホッケーといい、プレーがシステマチックで、タレントのあるプレーヤーにまでシステム内での役割を強要しすぎて実にツマランというのは、まったくもって一般論として成立しています。
サッカーからは「ファンタジスタ」が減りつつあり、ホッケーからはグレツキー以来独創的プレーメーカーが姿を消しました。逆にサッカーにおけるプレッシングやフラットスリーなどの統率された守備、ホッケーにおけるディフェンディングゾーンカバリジやニュートラルゾーントラップの進歩は守備的なシステムをチームに徹底させ、どのチームもロースコアの「負けない」ゲームを狙うようになりました。たしかに「つまらないサッカー、つまらないホッケー」になってきていると思います。
しかし、指導者の立場として考えるとこれはなかなか微妙な問題です。良し悪しは別として競技スポーツの目的が勝つことである以上、相手を技術力で圧倒的に凌駕していない限り、チームプレーはよりシステムに依存し、リスクの少ないプレーを強いる傾向にあるのです。 技術力が拮抗したチーム同士の対戦だと、いわゆる「少々のリスクを犯してでも挑戦するクリエイティブなプレー」は個人であれ少人数の連係であれ発揮しにくいものです。1ピリオド20分とすれば、
自チームがパックを持っている時間と自チームに有利なルースパックの時間が合わせて7分残りますが
このように考えると、現実的に本当にクリエイティブなプレーが期待できるのは1ピリオドに2~4分、1試合で6~12分、試合時間の10%~20%にしかなりません。
守備の個人技とシステムが子供から大人まで浸透した今、パワープレーとセットプレー(フェイスオフ、サッカーで言うならFK、CK)以外でパックをしっかりと保持しながらチャンスを作っていくということは非常に難しいのです。守備から攻撃への切り替え「トランジション」でチャンスを得ようという最近のホッケーの流れも納得がいく、というよりそうするしかないのです。
ですから、簡単に「システム=悪」という解釈に陥って欲しくない感じもします。与えられた条件=時間、タレントで勝つことを要求される指導者は、ある程度個人の能力を発揮するスペースを犠牲にしてでも、より確実なプレーを目指すものです。
監督寿命が短命で、チーム作りと技術力強化の時間が限られているプロスポーツの場合はこの傾向は世界中で顕著です。実際に、タレント不足を徹底したチームプレーで補いチャンピオンチームになった例はNJデビルスなどに見られます。システム偏重の唯一の打開策はレアル・マドリッドのように、デトロイト・レッドウイングスのように、個人技に優れたタレントを集めて、リスクファクターよりもクリエイティビティが上回りやすい条件を作ることです。しかしこれは指導者の能力の範疇外にあるといえます。
さて、プロもしくは競技レベルの高い指導者の立場の説明がそうであったとしても、果たして子供に教える場合はそれでいいのか?この辺を次回取り上げたいと思います。